生きることの意味

誰もが一度は考えたことがある、かもしれないテーマはやっぱり何故自分は生きているのかとか、生命の意味だと思う。自分のように中身が不安定な人間はコロコロ考えが変わって信用出来たものではないが、現時点での結論は"実は意味なんてこの世に存在しない"である。何でこのように至ったか、次のように考えた。まず自分の生きる意味や目的って何だろう、と考える。ふと視点を近くにいる犬や猫に移すと、彼らは日々を生きるために一生懸命であることに気付く。基本的に人間以外の生物は生きるというミッションに全力をかけている。でも何故そうなのかはまだ謎である。視点をズームアウトしていくと、地球上が生きよう生きようというパワーで満ち溢れていることに気付く。海や森などの自然も動物や植物の集合体だと考えると、生きたがっている生物ととらえられる。引いては地球という星そのものが生き物なのかもしれない。ここまで来ると視点は一気に飛躍して宇宙全体に及ぶ。そういった活動をする星、死んだり、爆発する星もある。しかし全てが生きようとしている、またはその結果なのだ。宇宙でさえ生き物かもしれない。とても大雑把だけど、自分と宇宙の本質、というか本能は一緒だと考えられる。どれだけ視界を広げようと延々何もかもが生き続けようとして、最後には死ぬというサイクルを繰り返している。宇宙について詳しく知っているわけでは無いが、ビッグバンという大きな爆発によって今の宇宙は出来たと考えられている。その前は何もない無だったと。今の科学力では確信を得るというところまではいっていないにせよ、自分はアイディアとしては間違いじゃないと思う。だって人間=宇宙、つまりビッグバンは出産だからだ。その勢いで宇宙が膨張し続けるように、人間も命を繋げようとする。先程は人間から宇宙へ目を移して行ったが実は逆で、宇宙と同じ性質を人間が持っているにすぎない。

ここまで思い思いに書いたので文章がとっ散らかりまくりで申し訳ないが、これが自分の考えである。ここまで考えた時、際限がないことに気がついた。そしてそんな果てし無い意味を求めるより、自分の意思に従うのが一番楽だし得だとも。だから生きる意味なんて無いに等しいし、人間のなすこと全てが生に根ざしている以上、色んなことに意味を求めるのもただ自分を苦しめるだけだろう。"人生は死ぬまでの暇つぶし"という言葉は昔から漠然とそうだよなー、と同意していたが最近は確信に変わった。これは決してネガティブなものではなく、自由に、気楽に生きることができる魔法の言葉なのだ。

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